『林語堂〜秋』 〜林語堂著作よりの抜粋〜

私は春が好きである。しかし春はあまりにも幼すぎる。
夏もまた好きだが、尊大すぎる。
やはり私は何よりも秋が好きである。
黄金色の木の葉、その柔和な色調と豊穣な色合いが、その感傷と死の兆しを湛えた気分が好きである。

秋の輝きが意味するのは、春の無邪気さでもなく、夏の尊大さでもなく、
人生の限界を知り、足ることを知る初老の円熟と分別である。

「人生は限り有り」という認識と豊かな経験から様々な色彩の交響曲が奏でられるのである。

緑色は生命の力を代表し、橙色は充実を代表し、紫色は屈従と死を代表する。
月光がその上に降り注ぐとき、その顔には悲しさに満ちた蒼白な表情が浮かび上がる。
しかし夕照が絢爛たるその輝きをもってその顔を撫でるとき、歓喜に満ちた笑いがこぼれるのである。

初秋の涼風が山野を渡るとき、木の葉は楽しげに舞い上がり、地上に落ちていく。
しかし落ち葉の歌声が歓喜の歌なのか、暗然とした鎮魂の歌であるのか、誰にも聞き分けることは出来ない。
なぜなら初秋の歌は平静で、分別があり、円熟の精神を持っており、憂鬱に対して微笑みかけ、興奮、鋭敏、冷静を賛美するからである。

こうした秋の精神を辛棄疾はその詞「醜奴児」の中で美しく表現している。

少年は愁いの滋味を職(し)らずして
愛(この)んで層楼に登る
愛んで層楼に登りて
新詞を賦す為に強いて愁いを説けり

而して今愁いの滋味を職り尽くし
説かんと欲して環(ま)た休(や)む
説かんと欲して環た休め
却って道いう 天涼しくして好個の秋なりと

 ~林語堂「中国=文化と思想」講談社学術文庫~
 


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